キリスト教Q&A
Q & A
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聖書を読みますときに、クリスチャンってよくこんな非科学的なことをまじめに信じてられるなと思われるのではないでしょうか。人が水の上を歩いたり、天からパンが降ってきたり、死んだ人までが生き返るのですから。
ある方々は実はこれらの話は比喩であって、人生の本質を教えようとして書かれていると解釈します。しかし、聖書の中からこれらの非科学的な記録が除かれてしまいますと、神様が人間と同じレベルで活動する存在に収まってしまいます。もちろん日本人の私たちの感覚ですと、人間でも神様として祭られてしまいますから、その程度の神様を神様として満足されるのなら話は別なのですが・・・。そうなりますと、クリスチャンはそこにはもう神様として存在の意味を見出せなくなってしまいます。
聖書の描く神様はこの世界の法則などを超越しておられる方です。それが故に、神様と言われるのではないでしょうか。そのような意味で神様の存在を認めること自体が非科学的にも思われるのですが(質問1をご参照ください)、その存在を認めることが出来ます時には、聖書の様々な奇跡も神様がそのような神様であるならば可能であると信じられるのです。
聖書ではこの大きな神様の前に人間は謙虚であるようにと望まれています。私たちは科学でこの世の全てに説明がつくように思いがちですが、科学からはこの宇宙の存在の意味、私たちの人生の意味などについては学ぶことは出来ません。人間は物質的な存在でもあり、同時にスピリチュアルな存在です。スピリチュアルとは、自分を超えた存在について、自分の存在の意味などについて思いを馳せる存在ということです。この部分を無視して、私たちの幸せは本当の意味で実現できないのではないでしょうか。