キリスト教Q&A

キリスト教に関するご質問

(問6)

教会では罪人という言葉が良く使われますが、私は自分を罪人とは思ったことはないのですが、どういう意味なのでしょうか。

(回答)

 教会にこられて戸惑うことの一つに、人を罪人として見ることがあります。いつも「あなたは罪人だ。罪人だ。」と聞かされていても楽しいものではありません。自分でも薄々は感じていることもあるからです。一般的に罪人と聞きますと、それは犯罪者か、国の律法を犯した人のことを思い浮かべます。ですから善良な私たちにはピンと来ない言葉に聞こえるのです。

 聖書の定義する罪とはもっと内面的なものを指します。それは創造主を認めない人間の営みを罪と呼んでいます。自分が神であるかのような生き方そのものが罪の生き方であると述べています。残念なことに人間には自我が生まれながら存在しています。不思議なことですが、教えなくても人は小さい時からこの自我を表します。その自我は宗教心では、神さえも自分の都合いいように使おうとするご利益宗教にも表われます。そのために日本では、人間の都合に合わせてくれる八百万の神々が提供されているスーパーマーケットのような宗教市場が存在してしまうのです。

 創造主と人の間はこのような自我から成り立つ利害関係では結ばれないのです。同時に、人は自分の内面に神に対してのエゴばかりではなく、人に対してもエゴが存在します。憎しみ、悪意、不和、欺き、むさぼり、陰口などが心の中にあり、それが言葉や行動として出てきてしまいます。このように罪を定義するときに例外は存在しなくなります。

 聖書は「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています」ローマ3:23と結論付けるのです。